銀河の果て

 来る5月3日、中野セントラルパークサウスコングレスクエア

B1コンベンションホールで開催される「資料性博覧会 2015」に

サークル「スタビライザー」さんの手伝いで出張ります。

 http://www.mandarake.co.jp/information/event/siryosei_expo/

 会誌ににょろっと、以下のような原稿を書かせて頂きました。

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 かつて妄想したことが有る。CG技術が進歩し、コストも低くなって

TVでどんどん使用されることになったら、日本の変身ヒーロー番組に

も根源的な変化が訪れるのではないか。予算、スケジュール、造形技術

による制約が一挙に解放されるのではないか。

  怪獣や怪人の同種複数登場、ミニチュアと実景を組み合わせたより

見応えのある俯瞰シーンや怪獣・怪人の生物感描写の増加、等々。

海外の大作映画、日本的怪獣の概念が存在しない作品では程度の大小は

あるにせよ描かれていて、何故、こんなシーンが日本のテレビでは見ら

れないのかと地団駄を踏んだ事がある光景だ。

 全てが一気に変化する事はないだろうし、技術が発達してもそれを使

う人間の技量やセンスの問題もある。ヒーローの空中戦や浮遊感 俯瞰の

風景(大パノラマ風光景)などは、劇場用作品まで含めれば段々と見る機

会は増えてきた。

 そんな中、どうにも表現に発展がないと思ったのが怪獣の生物感だった。

 表情や筋肉の動き、肉体がダメージを受けた時の生々しさ、食事や排泄

に関する描写、人間には思いもよらない生態。そういった部分は、大袈裟

な言い方をすれば『ウルトラQ』の昔から劇的な変化を遂げているとは言

えないのではないか。

 ここで一つ、かねてから思っていた疑問がある。

 そもそも、昔から怪獣は「生物」なのか、唯一無比の「何らかの生き物」

なのかが曖昧だったのではないかという事だ。

 いわゆる現在の日本型「怪獣」の始祖であるゴジラにしてからが、恐竜が

放射能によって変異した特異な存在であり、普通の「生物」とは言えず、

「生物感」と呼べる描写が充実していたかは怪しい。その後に作られた様々

な特撮作品の中で、在る時は生物としてまた在る時はなにか「怨念」のよう

な物として、怪獣はかなり振り幅の広い、ちょっと曖昧な存在として生存し

てきたと思う。最初に述べた技術的・金銭的・物理的時間的な制約から来る

表現上の「拙さ」も、結果としてその曖昧さが維持される理由となり、いつ

しか怪獣はそれまで「妖怪」と呼ばれていた者達の居場所の一端を占めるよ

うになったのではないだろうか。

 実は冒頭のような仄かな期待を抱いた事が以前にも在った。『ザ・ウルト

ラマン』第一話を見た時である。ウルトラマンジョーニアスと闘う同種族の

複数怪獣を見た時、ヒーロー番組の限りない新たな可能性を見たような気に

なったのだが、正直、その思いはあまり続かなかった。今回、改めて『ザ・

ウルトラマン』を見返すことは出来なかったのだが、同種怪獣が複数登場す

る事が充分に活かされたエピソード、怪獣の生物感の描写がストーリーと密

接に結びついていたストーリーを思い出せないでいる(もしも存在していた

ら御指摘頂きたい)。セルアニメならば、場合によってはCGよりも容易に

怪獣を生物として描く事が出来た筈だと思うのだが。

 また、『ウルトラマンコスモス』でも怪獣を保護すべき生物として描く事

が番組のテー

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 続きは会誌にて。

「スタビライザー」 http://homepage1.nifty.com/H-YAMATO/TOP.htm