『愛、アムール』恐怖は何時でも何処にでも存在する。

 第65回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞、第85回
アカデミー賞外国語映画賞受賞の名作・・・・いやいやいやいや。

 

愛、アムール

 ミヒャエル・ハネケ監督の作品は前作『白いリボン』しか
見ていないのだけど、これがまた凄まじい作品だった。
 おそらく中世から佇まいを変えないドイツの片田舎の
農村に静かに広がり、やがてナチズム的なモノに繋がっていく
であろう協調圧力、村意識といった物を、犯人が明示されない
ミステリ〜しかも主人公(というか狂言回し役)自身は自分の
恋に現を抜かして事態を把握しないまま物語は終わってしまう
〜という形で描いた怪作だった。
 だからこの、さも感動作のような予告編を見てもどーにも
怪しい、 怪しいと思って本編を見てみたのだが、やはり。
 まず最初に劇的なクライマックスを提示して、時間が戻って
物語が始まるという、まるでベタなB級サスペンスのような
構造が、この物語(題材)においては恐ろしいほどに効果的に
機能している。ホントにベタなB級サスペンスなら、冒頭の
クライマックスが起こりそうなタイミングというのは結構、
読めてしまったりするものだ。しかし今作においては冒頭に
提示された劇的状況が何時起こるか、まったく予測できない
のだ。というより、何時、そんな状況になってもおかしく
ないシチュエーションの連続なのである。
 これは怖い。怖すぎる。
 そしてそのクライマックスが訪れる瞬間がまた、あまりに
唐突で、身構えていた緊張感が突然解放されてしまい、その
安心感と物語内の状況との倫理的整合性ギャップに改めて
恐怖してしまうのだ。
 こんな「ホラー映画」で感動なんて出来る訳ないぢゃ
ないか(笑)。
 恐るべしミヒャイル・ハネケ。
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